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2012年7月23日月曜日

MATECOレポート 【十人素色-決定の論理 その10】



MATECOレポート第十一弾は、『十人素色-決定の論理-』にご登壇頂いた建築家、川添善行氏のレクチャーについて、です。

30代前半という若さで東大に研究室を構える川添氏。それまで面識はありませんでしたが、同じくこのレクチャーに登壇して頂いた崎谷浩一郎氏にご紹介頂きました。他の方々ももちろんですが、正直、このような主題に興味を持って頂けるか・ご登壇頂けるか、もっとも心配だったのが川添氏でした。  

建築家としてお話されるであろうこと・スタンスを予測はしていたものの、終止大変論理的でコンパクトな論旨に疑問を挟む余地は無く、もっと沢山のお話を伺ってみたい、と思いました(…もっとお話を聞いてみたいのは10組の方々全てなのですが) 。

そのような氏の理路整然としたお話ぶりからは、ごく自然に東大の講義の様子が思い浮かびました。低く落ち着いた声でありながら、大変にこやかに話される様子、きっと多くの学生が引き付けられていることでしょう。  

レポートその1その2その3その4その5その6その7その8その9とも併せて、ご高覧頂ければ幸いです。
 

Vol.08 「文脈から決定する」 川添善行氏
 
十人素色、最後のプレゼンテーションは建築家の川添善行氏。  

他の方々が10分を時間一杯もしくは少しオーバーしてお話ししていたのに対し、川添氏は7分弱の短めの発表となったが、その分端的に要点と自分の意見をお話しされていたのが印象的なレクチャーだった。

内容を要約させていただくと「 ペンキの出荷量を見てもわかる様に70年代以降の工業化で色は自由に選択出来る世の中になった。しかし、「新緑」「帝王紫」「唐茶」といった日本の色に関する言葉を読み解くと、それは文化や時代性に左右される文脈そのものであった。 材料を組み合わせる事が建築の特性であり、色は素材や文脈から決めるべきかと考えている。」というものであった。

川添氏がキーワードとして挙げられていた「文脈」という言葉、主体は外部にありそれを紐解いて決定をするという方法論だと考えるが、他の講演者も「解は現場にある」(崎谷氏)「現場にあるもので考える」(403 architecture dajiba)「完全性に気付く」(熊谷氏) 「瞬間に撮らされている間隔」(小川氏)等、類似した方法論をお話しされていた様に思う。「色は気分で決める」(流氏)と語られていた流氏も「ストーリー性から構築する」とも発言されており、体験を自らの感性に基づき表現されているのだろう。  

この考え方で行くと、景観を構成するものは主にこの3つなのではないかと考える。  

①文脈から関係性を構築するもの(その中で自己表現の強さの度合いが様々ある)  
②文脈との関係性からあえて外すもの(目立つ為の広告等) 
③文脈を不自覚なもの

川添氏はレクチャーの最初に 重要伝統的建造物保存地区内子町、 重要文化的景観に指定されている宇治市の景観について言及されていたが、景観形成にあたり「文脈」に対して不自覚な人々に対し、その読み解き方を伝えるという手法が重要なのではないかと改めて考えさせられた。
 
●レクチャラー紹介  
川添善行 / YOSHIYUKI KAWAZOE 
1979年神奈川県生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。オランダ・デルフト工科大学から帰国後、東京大学景観研究室助教として内藤廣に師事。
現在、東京大学生産技術研究所川添研究室(建築学専攻)を主宰。
専門は、建築設計、風景論。2007年より川添善行・都市・建築設計研究所を主宰し設計活動を展開。工学博士。

●レポート執筆担当
 
山田 敬太 / KEITA YAMADA 
1984年神奈川県横浜市生まれ。
慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科、フィンランド ヘルシンキ工科大学(現Aalto University) Wood Program出身。専門は建築設計。GSDyメンバー。
建築設計を軸にまちづくりや景観にも手を伸ばし活動中。

【追記:MATECO代表 加藤幸枝】  
例えば日本の伝統色と言われる色群は、当時の流行色でもあります。時の経過が色に様々な情報を与え、その背景にある文化や歴史を物語る一つの要素となり、私たちに様々な影響(感情の変化や歴史に対する興味)をもたらしています。   

『1グラムの色素を得るための200個の貝を必要とする“帝王紫”は、色そのものよりも価値(文脈)を指す言葉であり、唐茶は先進国(中国)から来た茶色っぽいもの、憧れの対象としての色の表現である』という川添氏の解説は、現代でも“多くの人が惑わされる色の持つイメージ”をとても端的に表現されていました。  

そして後半の『材料の色をそのまま使うこと、基本的にはそれが建築がやるべきことと考えている』という一言が大変印象的でした。

塗料の普及は1950年代以後です。建築においては圧倒的に(自然)材料の歴史が長い、ということをもっと慎重に・真摯に考えるべきなのではないか、と思いました。 材料を組み合わせることが建築の特性であり、それにふさわしい色=素材を選んでいる、という建築家としての揺るぎないスタンスを正直、羨ましくも感じました。 

自身の仕事と重ねてみると、豊かであるはずの色彩が一体いつから環境を混乱させる要素となってしまったのか。建築に・建築以外の環境を構成する要素に例え部分的にでも塗料を用いる以上、よりよい関係をつくっていくためには、どうすれば良いのか、ということを改めて考えさせられます。  

10組の方々の“決定の論理”からは、どのような分野においても対象や素材の成り立ちを考えざるを得ない、ということが浮かび上がったのではないか、と思っています。
MATECOでは引き続き、環境を取り巻く素材と色彩について、時代の変化やこれからの在り方について学び、広く共有できる情報としてストックしていくこと、そして同時にその発信について様々な取り組みをして参ります。
 
次年度の十人素色にも、どうぞご期待下さい。

2012年7月11日水曜日

MATECOレポート 【十人素色-決定の論理 その8】

MATECOレポート第九弾は、『十人素色-決定の論理-』にご登壇頂いた建築家ユニット、403architecture〔dajiba〕のレクチャーについて、です。

大学院卒業後すぐに活動を始めた彼らは、現在浜松を拠点とし、複数のプロジェクトやまちづくりに携わっています。レクチャー当日ご紹介頂いたプロジェクトは現在発売中の雑誌コンフォルトをはじめ数々のメディアに特集が組まれるほどで、今一番注目を集めている若手3人と言えるでしょう。

マテリアルに対する『オリジナルで頑なな』向き合い方(もちろん良い意味です)、そして『周りの人達全てが自分達の先生』だという真摯さ、さらに何に対しても『初めて出会う』ことに対する新鮮な感動や疑問が、地域の人達、浜松の商店街の大人達や静岡文芸大の学生達をも突き動かしています。更には既存の、ともすると私達の身動きをとり辛くしている目に見えないシステムまでもが、彼らの熱でカタチを変えていくような気がしています。

ひとことで表すと『信頼せざるを得ない』という、活動の強度。その魅力を届けるには、10分という時間はあまりに短かったかも知れませんが、以下のレポートはしっかりそれを裏付けるものとなっていると思います。

ポートその1その2その3その4その5その6その7とも併せて、ご高覧頂ければ幸いです。


Vol.08素材とともに建築家と社会の展開図を描く」 403architecture〔dajiba〕 


建築家という職が社会においてその他の職と違う部分があるとすれば、それは実際の場と実際の物を扱い、それらを最終的な成果の土台や成果そのものとするところにあるのではないだろうか。これはすごく当たり前なことであり、しかしとても重要なことでもある。改めて考えると、様々な関係性や時間といった非可視な事物を具体的、物理的な事物に定着させることができるというのは、大きな力だといえると私は思っている。

そして、そんなもの・場所に対し、スケールという尺度を持ち込み、様々な解像度(原子から宇宙まで)をもって具体的な事物を総体的かつ相対的に捉えることができること、それは、その可能性をより大きく広げるのではないだろうか。

具体的なものを抽象的に結びつけ、それをものとして場所に落とし込む。そんな建築を扱い、思考するものがもつ可能性を突き詰めたところには、あるひとつの社会と向き合える場がある。
403 architecture [dajiba]の活動・作品からは、そんな彼らの向かう先が示されているように感じた。

天井の部材を輪切りにし、小口が見えるよう床に敷き詰めることで新しさと身体性を獲得した<渥美の床>。白く塗られた表面と無垢のままの裏面というロフトの床材がもっていた二つの面をまとい、二つの場に異なった表情を向けることとなった<三展の格子>。フォークリフトのパレットを細断し再び壁材として並べ直すことで、倉庫に必要な光量が「自動的に」確保された<頭陀寺の壁>。賃貸マンションの大きな基礎が持つ空間の「発見」から、そこに2つの床レベルが設定された<海老塚の段差>。

彼らの一連の作品において共通しているのは、<そこにあるものを読み替え、形を変えて別の役割を与える>という設計姿勢だ。そして、今回のシンポジウム開催にあたって準備された彼らのMATECO箱によって、彼らはその思考の論理を明確に示した。

MATECO箱は、各レクチャラーにとっての素材・色彩を入れるものとして手渡されたが、それに対し彼らが出した回答は、それそのものを素材として扱うことであった。
入れ物として与えられた箱にヤスリがけをし、それによって出た削り粉を箱に入れるべき素材として扱った。「そこにあるものの形を変え、コンテンツとすると同時に、それ自体も新たに価値づけていく」と語った彼らは、箱からいったんその役割を取り外し、一つの素材として役割を再配分することにより、内容物となる削り粉と、その繊細さにふさわしい薄く肌理細やかな箱を同時に作り出した。

また、展覧会出展作品として制作された曼荼羅、<浜松の展開図>においても、彼らのもの(素材)と場所に対する考え方が明確に示された。
曼荼羅は世界そのものの展開図を意味するのだという。彼らはその形式を浜松という地方都市に当てはめ、浜松そのものを描こうとした。

彼らは展開図を「それが壁だとか床だとかいうことを超えて材料そのものを捉え直す方法」としてとらえ、設計の足がかりとして書くという。場所とものをつなぐような媒介物としてある、意味・役割を敢えていったんリセットすることによって、その二つに新たな関係性を見出すことができるのだ。 
 
そんな彼らの<そこにあるもの>に対する真摯な視点はさらに広がりを持つ。
彼らは素材や場所と向き合う姿勢と同様、建築家という職能についても今という社会の中で再定義することを試みているのではないだろうか。建築家という枠組み自体も一度解体し、そこから今の時代・社会において必要とされうる建築家の技能を読み取り、再構築する。

建築という専門と社会との関係性を新たに見出す、そのための展開図を描いているように私には思える。


●レクチャラー紹介
403architecture〔dajiba〕
辻琢磨 / TAKUMA TSUJI・橋本健史 / TAKESHI HASHIMOTO・彌田徹 / TORU YADA 
2011 年より静岡県浜松市を拠点として活動する建築設計事務所。筑波大学大 学院芸術専攻貝島研究室修了の彌田徹と、横浜国立大学大学院建築都市スクー ルY-GSA 修了の辻琢磨、橋本健史の三人によって設立。 
「マテリアルの流動」を手法として、新築、改築、解体を区別することなく 複数のプロジェクトを連携させた活動を同時多発的に展開。主な作品に「渥美の床」、「海老塚の段差」など。

●レポート執筆担当
小久保亮佑 / RYOSUKE KOKUBO 
1986年愛知県生まれ。2011年に名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻を修了し、同年4月より株式会社環境デザイン研究所に入社、幼稚園や遊具といったこどもと関わり深い施設の設計に関わっている。GSDyメンバー。
学生時代には、こどもを対象とした建築・都市を題材とするワークショップ活動に取り組みつつ、建築設計やまちづくりを学ぶ。卒業設計「間隙を縫うように、都市生活者の拠り所」にてJIA東海支部卒業設計コンクール金賞を受賞。修士論文では卒業設計と同地域において、住民による「好きな場所」の指摘から空間資源認識とその把握手法を研究