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2013年5月31日金曜日

第二回勉強会『素材が立ち上がるまで-日本のタイル 生産・設計・施工の現場から』 まとめ②

※第二回勉強会『素材が立ち上がるまで-日本のタイル 生産・設計・施工の現場から』 まとめ②
建築家・蘆田暢人氏のレクチャーより

■建築家がタイルと目地をどのように扱ってきたか
次に、タイルがデザイン的にどのように考えられてきたか、ということを設計者の立場から私なりに考えたことをお話ししたいと思います。

弘前市立博物館 ©Masato Ashida
これは前川國男さんの弘前市立博物館です。最近弘前に行く機会が多く、時間を見つけては見に行くようになったのですが、改めてプロポーションがとてもきれいだなと思います。

タイル一つとっても縦貼り・笠木・まぐさなど、一つの建物の中でも形状や貼り方のバリエーションが豊かで、かつバランスのコントロールがとても美しいと思います。
前川さんがここで採用した打ち込みタイルという施工方法は、やはりこの時代特有の剥離の問題が大きかったのだと思います。前川さんはテクニカル・アプローチという設計スタンスが特徴で、技術の方からデザインにアプローチをしていく、という彼の考え方が打ち込みタイルには良く表れています。

躯体を守る、という意味ではタイルはとても優れた材料です。コンクリートに直接貼れる、すなわち下地を通さなくていいという合理性があります。またタイルはコンクリートの量塊感を表現するのに適していて、コンクリートととても相性の良い素材だと思います。弘前市立博物館はコンクリートを保護するというタイルの役割と、タイルが剥離してしまうという構造的な弱点を解いたのが打ち込みタイルという方法であり、デザイン・性能・工法の話がきちんと解決できている、という事例なのではないでしょうか。

もう一つ、前川さんの打ち込みタイルで注目したいのは目地なのですが、目地が表面に出てきていません。タイルの形状が工夫され、型枠の裏で目地を詰めています。そうすると表面から見たときにタイルがかなりカチッと納まり、すっきりと見えます。目地が表面に出てくるとどうしても目地の印象が強くなったり、タイルの表情が甘くなったりするという側面があります。

シャープな目地とセパ穴 ©Masato Ashida
とても美しい仕上りなのですが、なぜこの工法が普及しないのかというと、やはり大変な手間がかかるので、現代ではPC板に打ち込むというのが主流になっています

■ポストモダンとタイル
弘前市立博物館は1970年代のですが、次に8090年代、ポストモダンの時代に入ります。この時代にどのようにタイルが使われていたかというと、正方形のタイルを用いた目地がしっかり見える建築が多くあります。

この頃はモダニズムから脱却すべき新たな方法論が模索され、地域性や歴史、あるいは幾何学などにデザインの拠りどころが求められた時代です。それは例えば、タイルの使い方について見れば、槇(文彦)さんのヒルサイドテラスD棟や、磯崎(新)さんのつくばセンタービルなどが例に挙げられます。

ヒルサイドテラスD棟
ヒルサイドテラスD棟。150角タイルを使用
つくばセンタービルはエレベーションを幾何学で構成するという哲学に基づいて微分化するということをやっています。その方法にタイルという材料が合っていたのだと思います。建築をつくる上での最小単位にまで幾何学を徹底する、というスタンスが見られるのがタイルの使い方のこの時代の特徴だと思います。

その極地はジャン・ピエール・レイノーというアーティストの作品ではないかと思うのですが、これは1981年に原美術館で発表されたゼロの空間という作品です。白いタイルと黒い目地の組み合わせにより床・壁・天井すべてをグリッド化して空間を徹底的に抽象化し、幾何学性を浮き立たせることによって異空間のような様相を呈しています。
80年代にはこのような目地の扱いがよく見られました。

■現代建築とタイル
では現代のタイル・目地の扱いはどうかということを見てみましょう。青木淳さん設計の青森県立美術館は鉄骨造の外壁に煉瓦を積んでいます。煉瓦を積んだ後に目地をつぶすように、白で塗装がされています。これはどちらかというと目地を消す方法だと言えるのですが、煉瓦なので近くに行くと素材感・肌合いが見えるというような表現になっています。

青森県立美術館は確か目地巾が15mmだったと思いますが、誘発目地を煉瓦の目地に合わせているので、実際には誘発目地がわかりづらくなっています。最近ではこのような目地を消していくという表現が主流になっていると思います。

虎屋京都店に戻りますと、ここではごく普通のタイルを使っていますが、半割タイルを組み合わせることやランダムな配置にすることで独特の表情をつくっています。和菓子屋ということを意識した時、一つの塊でありながら、表面には柔らかさを出したい、でも目地で細かく分割されてしまってはそのような見え方にはならないかと思います。そのような葛藤の末、目地を消し去ることで建物本体のボリュームが持つ量感を保つことが出来る、という結論が虎屋京都店の目地の取り方です。

タイルの貼り方のバリエーションは結局、目地をどうデザインするかということなのだと思います。この京都虎屋店の例は特殊解ですが、建物全体のコンセプト、あるいは設計の哲学と一致することで、建物としての強さが生れるのではないかと思います。目地の選択にまで哲学を徹底すると、建築としてのクオリティを高めることが出来るのではないでしょうか。

建設という意味で考えるとこれはとても本質的なことです。設計は分割されたものを組み合わせる・積み上げるという行為です。RCだとそれがシームレスにできますので、抽象化にこだわった時代にはそれが主流でしたし、目地のない模型でつくったそのままが建ち上がるような仕上がりになります。
ただ建物は動くものだということを前提とすれば、目地をどう考えるかがとても重要です。誘発目地を嫌う建築家も多いのですが、これはどうしてもセットで考えなくてはならないと思います。

■今の技術と向き合い、建築をつくるということ
最近私はテクノリージョナリズムという造語を考えています。例えば21世紀になり、色々な技術が現在では世界標準になってきています。様々な材料、工業製品を生産するための技術に関する地域差がなくなってきているということを考えると、技術と地域をつなげるというつくり方があるのではないかと思うのです。

例えばタイルはどこの国でもつくっていて、その技術は基本的には同じです。ところが原料の土や釉薬等により同じ技術でつくっても仕上がりは違ってきます。タイルをつくる技術は広がるけれど、出来上がるモノの質としては地域性を持つ、ということの典型になるのではないかと思います。

そうした歴史の積み上げという視点で考えると、たとえば京都は伝統的なまちだと言われますが、実は何でも先進的にやってきたという歴史があります。小学校は京都が発祥ですし、煉瓦の洋館の誕生も東京とほとんど同時です。素材に対してもただ古いものをそのまま使うとか、地場産のものだけでつくるという過去に固執した考え方ではなく、今という時代をまちにどう植え付けて行くというか、今の技術や文化でまちをつくって行けば、それが本物でさえあれば、その地の歴史になっていく、と考えています。

今の技術がどこまで行っているのかを徹底的に見据えて、ものを積み上げるというのが建築家の仕事なのではないかと思うのです。


2013.05.31 
文責・加藤幸枝


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2012年8月1日水曜日

MATECOレポート 【素材と色彩のTA‐MATECO箱(後編)】

MATECOレポート第十二弾は、TA-MATECO箱の後編です。

421日に開催致しました『十人素色-決定の論理-』では、ご登壇いただいた10組のレクチャラーの皆さんに素材と色彩をご持参頂きました。

展示の方法を考えた結果、小さな桐の箱を用意し、その中にこれまでに手がけられたプロジェクトやご自身の専門分野に欠かせない『素材と色彩』を詰めて頂くこととしました。
 
た・まてこ・はこ玉手小箱、といささかダジャレ混じりではありますが、大真面目に、素材と色彩の多様な魅力を伝えたい、そして様々な決定の方法論・論理を視覚的な情報として ストックしていきたい、という思いから生み出された展示の方法であり、あえて箱に共通のモジュールを用いることにより、中身を一層際立たせることができる のでは、と考えました。

当日会場では多くの方が手に取られていました。素材と色彩のリアルさ、そして豊かさを体感して頂ける展示になったと思います。
以下、各レクチャラーの方々のレポートと同様、ご登壇頂いた順に後半5組の方のMATECO箱をご紹介します。

前半5組の方のTA-MATECOも是非併せてご覧下さい。 


北川一成 / ISSAY KITAGAWA
例えば、いろんな紙に、同じ色のインキを同じ条件で印刷していきますと、
同じ白色に見える白い紙でも、紙の種類が異なれば色は全部違ってきます。
そして、その色は、置かれる環境や時間の経過によって変化していきます。
表したい色を追求するには常にこれらを考慮しておかなければなりません。
そういうことを頭で解っていても実際の現場で判断できなければダメです。
これは経験とその数により、ますます実感し、培われていくものでしょう。
→北川氏のレクチャーの様子はこちら



■流麻二果 / MANIKA NAGARE  屑玉手
絵描きである私から生まれる色はいつも絵具から放たれる。
光を得て作品となる。
そしてアトリエにはその屑が残る。
屑もまた鮮やかに物語る。
→流氏のレクチャーの様子はこちら 



■403architecture〔dajiba〕 素材の箱
桐の箱の表面を削り、その木くずを元の箱に入れている。
箱を構成する板の厚みは薄く滑らかになり、
薄くなった分の細かな桐の粉を箱の内部に移動させた。
桐の箱に内在していた素材の可能性を用いることで、
箱そのものと箱の中身を同時に制作している。
→403architecture〔dajiba〕のレクチャーの様子はこちら 



■熊谷玄 / GEN KUMAGAI
この箱に詰め込んだのは、3年前ぼくが独立してから頂いた
仕事の現場を収めた現場写真の数々です。
仕事の依頼が来ると、まず現場に出かけます。
そこは、開発されたまっさらな更地だったり、役目を終えて建て替えられる建物だったり、営業を続けているショッピングセンターだったり、砂漠だったり、森だったりしますが、そこにある空気とか太陽とかそういったものが、その場の色を生み出していて、それは何というか計画の前提のようなものとして常に意識するようになります。こうしてこれまで取り溜めた現場写真を改めて並べてみると何か見える気がして今回、この箱に詰めてみました。
仕事を通して様々な場所を訪れその場所の色を記憶する。
その蓄積が僕の色を作っているのかもしれません。
→熊谷氏のレクチャーの様子はこちら 



■川添善行 / YOSHIYUKI KAWAZOE
コクタン/サクラ/カツラ/ホオ/
アクリル/アルミニウム/スズ/カシ/チーク
(この3センチ角のキューブは川添氏のデスクに置かれているものなのだそうです。)
→川添氏のレクチャーの様子はこちら


如何でしたでしょうか。
分野は違えど、決定という行為における論理を裏付けとなり得る、素材と色彩の数々。
どうか改めてレクチャーのレポートと併せて、ご堪能下さい。

今回、ご登壇者の方々に制作していただいたTA-MATECO箱は事務局にて大切に保管してあります。来年の十人素色の際には新たな箱と共に展示させて頂きたいと考えています。順調に行けば、10年後には100個の箱が集まることになります。
そうした時間の経過が、箱に、そして中身にどのような影響を与えるのか…。単に物理的な意味だけでなく、色褪せない素材と色彩とは?あるいは、時代を彩る素材・色彩。
時間がつくる・育てる、という観点も、MATECOの重要なテーマです。

2012年7月23日月曜日

MATECOレポート 【十人素色-決定の論理 その10】



MATECOレポート第十一弾は、『十人素色-決定の論理-』にご登壇頂いた建築家、川添善行氏のレクチャーについて、です。

30代前半という若さで東大に研究室を構える川添氏。それまで面識はありませんでしたが、同じくこのレクチャーに登壇して頂いた崎谷浩一郎氏にご紹介頂きました。他の方々ももちろんですが、正直、このような主題に興味を持って頂けるか・ご登壇頂けるか、もっとも心配だったのが川添氏でした。  

建築家としてお話されるであろうこと・スタンスを予測はしていたものの、終止大変論理的でコンパクトな論旨に疑問を挟む余地は無く、もっと沢山のお話を伺ってみたい、と思いました(…もっとお話を聞いてみたいのは10組の方々全てなのですが) 。

そのような氏の理路整然としたお話ぶりからは、ごく自然に東大の講義の様子が思い浮かびました。低く落ち着いた声でありながら、大変にこやかに話される様子、きっと多くの学生が引き付けられていることでしょう。  

レポートその1その2その3その4その5その6その7その8その9とも併せて、ご高覧頂ければ幸いです。
 

Vol.08 「文脈から決定する」 川添善行氏
 
十人素色、最後のプレゼンテーションは建築家の川添善行氏。  

他の方々が10分を時間一杯もしくは少しオーバーしてお話ししていたのに対し、川添氏は7分弱の短めの発表となったが、その分端的に要点と自分の意見をお話しされていたのが印象的なレクチャーだった。

内容を要約させていただくと「 ペンキの出荷量を見てもわかる様に70年代以降の工業化で色は自由に選択出来る世の中になった。しかし、「新緑」「帝王紫」「唐茶」といった日本の色に関する言葉を読み解くと、それは文化や時代性に左右される文脈そのものであった。 材料を組み合わせる事が建築の特性であり、色は素材や文脈から決めるべきかと考えている。」というものであった。

川添氏がキーワードとして挙げられていた「文脈」という言葉、主体は外部にありそれを紐解いて決定をするという方法論だと考えるが、他の講演者も「解は現場にある」(崎谷氏)「現場にあるもので考える」(403 architecture dajiba)「完全性に気付く」(熊谷氏) 「瞬間に撮らされている間隔」(小川氏)等、類似した方法論をお話しされていた様に思う。「色は気分で決める」(流氏)と語られていた流氏も「ストーリー性から構築する」とも発言されており、体験を自らの感性に基づき表現されているのだろう。  

この考え方で行くと、景観を構成するものは主にこの3つなのではないかと考える。  

①文脈から関係性を構築するもの(その中で自己表現の強さの度合いが様々ある)  
②文脈との関係性からあえて外すもの(目立つ為の広告等) 
③文脈を不自覚なもの

川添氏はレクチャーの最初に 重要伝統的建造物保存地区内子町、 重要文化的景観に指定されている宇治市の景観について言及されていたが、景観形成にあたり「文脈」に対して不自覚な人々に対し、その読み解き方を伝えるという手法が重要なのではないかと改めて考えさせられた。
 
●レクチャラー紹介  
川添善行 / YOSHIYUKI KAWAZOE 
1979年神奈川県生まれ。
東京大学工学部建築学科卒業。オランダ・デルフト工科大学から帰国後、東京大学景観研究室助教として内藤廣に師事。
現在、東京大学生産技術研究所川添研究室(建築学専攻)を主宰。
専門は、建築設計、風景論。2007年より川添善行・都市・建築設計研究所を主宰し設計活動を展開。工学博士。

●レポート執筆担当
 
山田 敬太 / KEITA YAMADA 
1984年神奈川県横浜市生まれ。
慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科、フィンランド ヘルシンキ工科大学(現Aalto University) Wood Program出身。専門は建築設計。GSDyメンバー。
建築設計を軸にまちづくりや景観にも手を伸ばし活動中。

【追記:MATECO代表 加藤幸枝】  
例えば日本の伝統色と言われる色群は、当時の流行色でもあります。時の経過が色に様々な情報を与え、その背景にある文化や歴史を物語る一つの要素となり、私たちに様々な影響(感情の変化や歴史に対する興味)をもたらしています。   

『1グラムの色素を得るための200個の貝を必要とする“帝王紫”は、色そのものよりも価値(文脈)を指す言葉であり、唐茶は先進国(中国)から来た茶色っぽいもの、憧れの対象としての色の表現である』という川添氏の解説は、現代でも“多くの人が惑わされる色の持つイメージ”をとても端的に表現されていました。  

そして後半の『材料の色をそのまま使うこと、基本的にはそれが建築がやるべきことと考えている』という一言が大変印象的でした。

塗料の普及は1950年代以後です。建築においては圧倒的に(自然)材料の歴史が長い、ということをもっと慎重に・真摯に考えるべきなのではないか、と思いました。 材料を組み合わせることが建築の特性であり、それにふさわしい色=素材を選んでいる、という建築家としての揺るぎないスタンスを正直、羨ましくも感じました。 

自身の仕事と重ねてみると、豊かであるはずの色彩が一体いつから環境を混乱させる要素となってしまったのか。建築に・建築以外の環境を構成する要素に例え部分的にでも塗料を用いる以上、よりよい関係をつくっていくためには、どうすれば良いのか、ということを改めて考えさせられます。  

10組の方々の“決定の論理”からは、どのような分野においても対象や素材の成り立ちを考えざるを得ない、ということが浮かび上がったのではないか、と思っています。
MATECOでは引き続き、環境を取り巻く素材と色彩について、時代の変化やこれからの在り方について学び、広く共有できる情報としてストックしていくこと、そして同時にその発信について様々な取り組みをして参ります。
 
次年度の十人素色にも、どうぞご期待下さい。

2012年7月18日水曜日

MATECOレポート 【十人素色-決定の論理 その9】


MATECOレポート第十弾は、『十人素色-決定の論理-』にご登壇頂いたランドスケープデザイナー・熊谷玄氏のレクチャーについて、です。
実は植物には詳しくなくて…と仰る熊谷さんですが、いずれのお仕事を拝見しても豊かな緑や草花と一体となった、ちょっとユーモラスで近寄ったり触ったりしてみたくなる造形が大変印象的です。
以前色彩についても少しお話をさせて頂いたことがありますが、その際も“色のことは実はよくわかってないんだよね”と謙遜されつつ、ご自身が素材や色彩を選定することをとことん愉しんでいらっしゃる様子が伝わって来、その様子に大変興味を持ち今回のレクチャーにご登壇をお願いしたという経緯があります。
どのようなお仕事に係られているかはHP等で拝見することが出来ますが、熊谷さんというキャラクターの佇まいから伝わってくる朗らかで愉しげな雰囲気は、残念ながら中々上手く文章にすることが出来ません。 
ご登壇頂いた10組の素晴らしいプレゼンテーションはTEDのスーパープレゼンテーションに匹敵するのでは、とも思っています。実は今回のレクチャーも全て映像に記録しており、今後もちろんレクチャラーの方々に許可を頂いた上で、編集したダイジェストを公開することも検討していきたいと思います。

レポートその1その2その3その4その5その6その7その8とも併せて、ご高覧頂ければ幸いです。


Vol.09対象と向き合い、気付きの中から生まれるデザイン」 熊谷玄氏

熊谷玄さんは、自身のプロジェクトをXSSMLXL5つのスケールに分類し紹介くださいました。様々な分野のデザイナーが集まった『十人素色-決定の論理-』において、ランドスケープのような大きなスケールのプロジェクトから、タイルやインスタレーションなど小さなスケールのデザインにまで及ぶ熊谷さんの対象領域の幅広さは印象的でした。

デザイン対象のスケールは様々でありながらも、敷地や対象のもつ大切な部分や“ステキなところ”みたいなものを鋭く発見し、デザインのコンセプトへと据えるというスタイルは一貫されており、そのやり方は、貝殻をタイルにしたり、草花をアクリルに封入するといった字面どおりのサンプリングから、湖畔のスペースに湖におけるコミュニケーションのスタイルを引用したり、カップヌードルミュージアムに安藤百福の言葉を記したりと、対象ごとに様々でおもしろかったです。

また、他の分野のデザイナーや多くの関係者と関わる仕事が多いという中で、関係者を楽しませることでプロジェクトを盛り上げるということを大切にされているとのこと、とても大切なことだと思いました。

最後に紹介されたカンボジアの世界遺産の寺院の周辺整備のプロジェクトについては、これから取り組まれるとのことでしたが、どのようなデザインを展開されるのか楽しみです。

先日、stgkwebサイトがリニューアルされたそうです。
十人素色で紹介されていたプロジェクトもより詳しくチェックできます。未見の方は是非。


●レクチャラー紹介
熊谷玄 / GEN KUMAGAI
1994 Graduate ICS COLLGE OF ARTS
1995 - 2000  STUDIO 崔在銀
2000 - 2008 EARTHSCAPE inc.,
2008 - STUDIO GEN KUMAGAI
2009 株式会社スタジオゲンクマガイ設立
[活動歴]
くらすわ(2011年グッドデザイン賞)/NTT東日本研修センター(2011年グッドデザイン賞)
沖縄アウトレットあしびなー/三井アウトレットパーク木更津/プレアビフィアエコビレッジ計画 他

●レポート執筆担当
田中 毅 / TSUYOSHI TANAKA
1982年、香川県生まれ。2008、東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻修士課程修了、同年有限会社イー・エー・ユーに入社。
長崎県五島市福江島・堂崎地区駐車場などを担当。


【追記:MATECO代表 加藤幸枝】
いつもにこやかな印象の熊谷さんは、恐らくクライアントを楽しませるのと同じように、茶目っけたっぷりの語り口で私達を楽しませて下さいました。

完全な公園を考えて下さい、という展覧会のオーダーでは、完全なモノをつくることは難しいけれど、それでも完全なものを求める人間の気持を考えられたそうです。何かかたちとしての完全なモノを取りに・見に行くのではなく、気の持ちようや対象との向き合い方によって『完全性』に気づくことが出来るのでは、と発想されたとのことでした。

アクリルキューブに封入された公園に落ちていた様々なモノに対し、例えばクリは改めてよく見ると何だか有り得ないかたちをしている、という気づきがあったそうです。
“コイツなんでこんなにトゲトゲしているんだろう…。”恐らく地球誕生から現在に至る歴史の中で、クリにはクリの事情があってこうなっているわけで、それを想像することが豊かさや自然界の造形の完璧さを考えることになるのではないか、というお話が大変印象に残っています。

クリにはクリの事情…。私は未だに、このフレーズを事あるごとに思い返しています。モノゴトの成り立ちに思いを馳せることによって、時に私達人間が自然に抗うことの不自然さを感じつつも、やはりそこから学ぶべきことがまだ多くあると感じています。

熊谷さんが手掛けられているランドスケープデザインというお仕事の基盤は、自然の造形や現象なのだと思います。大小様々なスケール・オーダーと日々向き合う中、ちょっとした気づきや発見から魅力あるデザインが生み出されていること、ご自分の仕事を本当に楽しんでいらっしゃることが伝わってくるレクチャーでした。

2012年7月11日水曜日

MATECOレポート 【十人素色-決定の論理 その8】

MATECOレポート第九弾は、『十人素色-決定の論理-』にご登壇頂いた建築家ユニット、403architecture〔dajiba〕のレクチャーについて、です。

大学院卒業後すぐに活動を始めた彼らは、現在浜松を拠点とし、複数のプロジェクトやまちづくりに携わっています。レクチャー当日ご紹介頂いたプロジェクトは現在発売中の雑誌コンフォルトをはじめ数々のメディアに特集が組まれるほどで、今一番注目を集めている若手3人と言えるでしょう。

マテリアルに対する『オリジナルで頑なな』向き合い方(もちろん良い意味です)、そして『周りの人達全てが自分達の先生』だという真摯さ、さらに何に対しても『初めて出会う』ことに対する新鮮な感動や疑問が、地域の人達、浜松の商店街の大人達や静岡文芸大の学生達をも突き動かしています。更には既存の、ともすると私達の身動きをとり辛くしている目に見えないシステムまでもが、彼らの熱でカタチを変えていくような気がしています。

ひとことで表すと『信頼せざるを得ない』という、活動の強度。その魅力を届けるには、10分という時間はあまりに短かったかも知れませんが、以下のレポートはしっかりそれを裏付けるものとなっていると思います。

ポートその1その2その3その4その5その6その7とも併せて、ご高覧頂ければ幸いです。


Vol.08素材とともに建築家と社会の展開図を描く」 403architecture〔dajiba〕 


建築家という職が社会においてその他の職と違う部分があるとすれば、それは実際の場と実際の物を扱い、それらを最終的な成果の土台や成果そのものとするところにあるのではないだろうか。これはすごく当たり前なことであり、しかしとても重要なことでもある。改めて考えると、様々な関係性や時間といった非可視な事物を具体的、物理的な事物に定着させることができるというのは、大きな力だといえると私は思っている。

そして、そんなもの・場所に対し、スケールという尺度を持ち込み、様々な解像度(原子から宇宙まで)をもって具体的な事物を総体的かつ相対的に捉えることができること、それは、その可能性をより大きく広げるのではないだろうか。

具体的なものを抽象的に結びつけ、それをものとして場所に落とし込む。そんな建築を扱い、思考するものがもつ可能性を突き詰めたところには、あるひとつの社会と向き合える場がある。
403 architecture [dajiba]の活動・作品からは、そんな彼らの向かう先が示されているように感じた。

天井の部材を輪切りにし、小口が見えるよう床に敷き詰めることで新しさと身体性を獲得した<渥美の床>。白く塗られた表面と無垢のままの裏面というロフトの床材がもっていた二つの面をまとい、二つの場に異なった表情を向けることとなった<三展の格子>。フォークリフトのパレットを細断し再び壁材として並べ直すことで、倉庫に必要な光量が「自動的に」確保された<頭陀寺の壁>。賃貸マンションの大きな基礎が持つ空間の「発見」から、そこに2つの床レベルが設定された<海老塚の段差>。

彼らの一連の作品において共通しているのは、<そこにあるものを読み替え、形を変えて別の役割を与える>という設計姿勢だ。そして、今回のシンポジウム開催にあたって準備された彼らのMATECO箱によって、彼らはその思考の論理を明確に示した。

MATECO箱は、各レクチャラーにとっての素材・色彩を入れるものとして手渡されたが、それに対し彼らが出した回答は、それそのものを素材として扱うことであった。
入れ物として与えられた箱にヤスリがけをし、それによって出た削り粉を箱に入れるべき素材として扱った。「そこにあるものの形を変え、コンテンツとすると同時に、それ自体も新たに価値づけていく」と語った彼らは、箱からいったんその役割を取り外し、一つの素材として役割を再配分することにより、内容物となる削り粉と、その繊細さにふさわしい薄く肌理細やかな箱を同時に作り出した。

また、展覧会出展作品として制作された曼荼羅、<浜松の展開図>においても、彼らのもの(素材)と場所に対する考え方が明確に示された。
曼荼羅は世界そのものの展開図を意味するのだという。彼らはその形式を浜松という地方都市に当てはめ、浜松そのものを描こうとした。

彼らは展開図を「それが壁だとか床だとかいうことを超えて材料そのものを捉え直す方法」としてとらえ、設計の足がかりとして書くという。場所とものをつなぐような媒介物としてある、意味・役割を敢えていったんリセットすることによって、その二つに新たな関係性を見出すことができるのだ。 
 
そんな彼らの<そこにあるもの>に対する真摯な視点はさらに広がりを持つ。
彼らは素材や場所と向き合う姿勢と同様、建築家という職能についても今という社会の中で再定義することを試みているのではないだろうか。建築家という枠組み自体も一度解体し、そこから今の時代・社会において必要とされうる建築家の技能を読み取り、再構築する。

建築という専門と社会との関係性を新たに見出す、そのための展開図を描いているように私には思える。


●レクチャラー紹介
403architecture〔dajiba〕
辻琢磨 / TAKUMA TSUJI・橋本健史 / TAKESHI HASHIMOTO・彌田徹 / TORU YADA 
2011 年より静岡県浜松市を拠点として活動する建築設計事務所。筑波大学大 学院芸術専攻貝島研究室修了の彌田徹と、横浜国立大学大学院建築都市スクー ルY-GSA 修了の辻琢磨、橋本健史の三人によって設立。 
「マテリアルの流動」を手法として、新築、改築、解体を区別することなく 複数のプロジェクトを連携させた活動を同時多発的に展開。主な作品に「渥美の床」、「海老塚の段差」など。

●レポート執筆担当
小久保亮佑 / RYOSUKE KOKUBO 
1986年愛知県生まれ。2011年に名古屋大学大学院環境学研究科都市環境学専攻を修了し、同年4月より株式会社環境デザイン研究所に入社、幼稚園や遊具といったこどもと関わり深い施設の設計に関わっている。GSDyメンバー。
学生時代には、こどもを対象とした建築・都市を題材とするワークショップ活動に取り組みつつ、建築設計やまちづくりを学ぶ。卒業設計「間隙を縫うように、都市生活者の拠り所」にてJIA東海支部卒業設計コンクール金賞を受賞。修士論文では卒業設計と同地域において、住民による「好きな場所」の指摘から空間資源認識とその把握手法を研究

2012年7月9日月曜日

MATECOレポート 【十人素色-決定の論理 その7】


MATECOレポート第八弾は、『十人素色-決定の論理-』にご登壇頂いたアーティスト・流麻二果氏のレクチャーについて、です。 

初めて流さんの作品を拝見したのは約二年前のことでした。軽やかな、そして時に重みのあるストロークが描き出す美しい色彩は、私達がいつも目にしている人体のフォルムの一部でありながら、懐かしい景色や自然の風景のようにも見えます。

決定の論理を語って頂く10組のレクチャラーの選考にあたり、当初からアーティストの方には是非参加して頂きたい、と考えていました。無から有へ、というアートの創造のプロセスにおいて、色彩の果たす役割とは?そんな素朴な興味から、自由に色彩を使いこなされている(…と推測される)流さんに、是非お話を伺ってみたいと思いました。

ポートその1その2その3その4その5その6とも併せて、ご高覧頂ければ幸いです。


Vol.07 「作品の中では自身のその日の気分が色を決める」 流麻二果氏

美術家・流麻二果さん。彼女は今回のレクチャラーの中でも異色の存在と言えるでしょう。”感覚的に”決めていると捉えられる色彩や素材の選択。アートの領域はその傾向をより一層強く感じさせるものだと思います。その中に潜む論理とは何か—。

レクチャーでは、自身の中心的な活動であるペインティングを軸に、大きく分けて次の3つの場面での制作についてお話しいただきました。
 □ 美術館やギャラリーでの展覧会
 □ 建築とのコミッションワーク
 □ 東北の被災地を中心に行われているワークショップ
 
以下、簡単にですがレポートさせていただきます。
 
□ 展覧会
まずは国立新美術館とギャラリーPANTALOONでの展示についてお話しいただきました。
展覧会に向けて作品を創る時には事前に会場を見て、壁や天井の高さ、入口の位置といった場のボリュームから、光の入り方のようなものまでを捉えるそうです。さらに、人がそこにやって来て、作品を観るまでのストーリーを意識して色を決めるとのことでした。

美術館やギャラリーは、本来的に作品を飾るための場所です。しかし、単に作品がその場所に持ち込まれるのではなく、その場所に散らばる種々の要素が作品の特徴を指向させる論理に成り得ることが示されていました。

□ コミッションワーク
建築に作品を入れるコミッションワークとして、パークコート麻布十番、裏磐梯高原ホテルでの制作をご紹介いただきました。
麻布十番のプロジェクトではゲストルームの壁一面に飾る作品について、色彩の強さや作品自体の大きさが過大にならないよう、きわの色を壁に合わせ「色と空間を伸ばす」ように制作されたそうです。

裏磐梯ではホテル周辺にある五色沼をモチーフとして、5つの色を展開した客室のアートワークを制作されました。黄・緑・赤・青・瑠璃のそれぞれのテーマにならい、家具等のしつらえに合わせた色彩が選択されていました。
こういったコミッションワークが展覧会と大きく異なるのは、訪れる人の主目的が作品の鑑賞ではないことにあるかと思います。それでも基本的な論理は共通しているように感じられ、飾る場所の特性や人の感覚を察知し、そこに作品が在る状態について思考されていました。

□ ワークショップ
作品制作とは別に活動している「一時画伯」についてもお話しいただきました。この団体は、アートに触れる事の少ない人々、特にこれからを生きていく子供たちに対して、アートを開かれたものにする目的で活動されています。

今回は、宮城大学竹内研究室が東北の被災地で行っている「番屋プロジェクト」についてご紹介いただきました。流さんらは建てられた番屋の柱に子供たちのオーダーの下で混色された色をつけていくワークショップを行っているそうです。

レクチャーの中で被災地について語られた「色が無くなったことを感じる」という言葉がとても印象的でした。子供たちの自由な発想によって塗り替えられていく無の風景。これからを担う無限の想像力こそが、思いもよらない事態を越えていく手掛かりになるのかもしれません。

さて、レクチャーの冒頭、流さんは次のように仰っていました。
  
「作品の中での色彩の決定というのは、一言でいってしまうと自分のその時の気分でしかありません。」
  
まさに感覚的な判断であるように聞こえますが、今回のレクチャーではその気分そのものを作り出す道筋が語られていたように思います。与えられた様々な場に対して、そこにある要素を選び取り、形にしていく様は非常に論理立ったプロセスであるように感じられます。

そして、それはご自身のHPにて示された創作の動機である「見ず知らずの他人への興味」が形を持った作品として表れる過程を示すものに他ならないのだと思います。


●レクチャラー紹介
流麻二果 / MINIKA NAGARE 
1975年生まれ、女子美術大学芸術学部絵画科洋画専攻卒。2002年 文化庁新進芸術家在外研修員(NY滞在)、2004年ポーラ美術振興財団在外研修員(NY・トルコ滞在)
有機的な気配を残した抽象絵画を中心に、紙や布を使ったインスタレーション等も手がけ、国内外の美術館、ギャラリーで発表している。
2011年に非営利団体・一時画伯(いちじがはく)を発足。アーティストが、美術に触れることの少ない子供たちに「アート」を届ける活動を目的とし、当面のプログラムとして東北でのワークショップを継続している。 

●レポート執筆担当
志田悠歩 / YUHO SHIDA
1985年東京都生まれ。
2010年芝浦工業大学大学院建設工学専攻(土木構造研究)卒業。
同年4月パシフィックコンサルタンツ株式会社入社。現在、交通基盤事業本部鉄道部・橋梁構造室にて鉄道橋梁設計、鉄道計画に従事。また2010年よりGSDyに所属。同団体では主に橋梁に関わる企画・勉強会に携わっている。