2013年5月31日金曜日

第二回勉強会『素材が立ち上がるまで-日本のタイル 生産・設計・施工の現場から』 まとめ②

※第二回勉強会『素材が立ち上がるまで-日本のタイル 生産・設計・施工の現場から』 まとめ②
建築家・蘆田暢人氏のレクチャーより

■建築家がタイルと目地をどのように扱ってきたか
次に、タイルがデザイン的にどのように考えられてきたか、ということを設計者の立場から私なりに考えたことをお話ししたいと思います。

弘前市立博物館 ©Masato Ashida
これは前川國男さんの弘前市立博物館です。最近弘前に行く機会が多く、時間を見つけては見に行くようになったのですが、改めてプロポーションがとてもきれいだなと思います。

タイル一つとっても縦貼り・笠木・まぐさなど、一つの建物の中でも形状や貼り方のバリエーションが豊かで、かつバランスのコントロールがとても美しいと思います。
前川さんがここで採用した打ち込みタイルという施工方法は、やはりこの時代特有の剥離の問題が大きかったのだと思います。前川さんはテクニカル・アプローチという設計スタンスが特徴で、技術の方からデザインにアプローチをしていく、という彼の考え方が打ち込みタイルには良く表れています。

躯体を守る、という意味ではタイルはとても優れた材料です。コンクリートに直接貼れる、すなわち下地を通さなくていいという合理性があります。またタイルはコンクリートの量塊感を表現するのに適していて、コンクリートととても相性の良い素材だと思います。弘前市立博物館はコンクリートを保護するというタイルの役割と、タイルが剥離してしまうという構造的な弱点を解いたのが打ち込みタイルという方法であり、デザイン・性能・工法の話がきちんと解決できている、という事例なのではないでしょうか。

もう一つ、前川さんの打ち込みタイルで注目したいのは目地なのですが、目地が表面に出てきていません。タイルの形状が工夫され、型枠の裏で目地を詰めています。そうすると表面から見たときにタイルがかなりカチッと納まり、すっきりと見えます。目地が表面に出てくるとどうしても目地の印象が強くなったり、タイルの表情が甘くなったりするという側面があります。

シャープな目地とセパ穴 ©Masato Ashida
とても美しい仕上りなのですが、なぜこの工法が普及しないのかというと、やはり大変な手間がかかるので、現代ではPC板に打ち込むというのが主流になっています

■ポストモダンとタイル
弘前市立博物館は1970年代のですが、次に8090年代、ポストモダンの時代に入ります。この時代にどのようにタイルが使われていたかというと、正方形のタイルを用いた目地がしっかり見える建築が多くあります。

この頃はモダニズムから脱却すべき新たな方法論が模索され、地域性や歴史、あるいは幾何学などにデザインの拠りどころが求められた時代です。それは例えば、タイルの使い方について見れば、槇(文彦)さんのヒルサイドテラスD棟や、磯崎(新)さんのつくばセンタービルなどが例に挙げられます。

ヒルサイドテラスD棟
ヒルサイドテラスD棟。150角タイルを使用
つくばセンタービルはエレベーションを幾何学で構成するという哲学に基づいて微分化するということをやっています。その方法にタイルという材料が合っていたのだと思います。建築をつくる上での最小単位にまで幾何学を徹底する、というスタンスが見られるのがタイルの使い方のこの時代の特徴だと思います。

その極地はジャン・ピエール・レイノーというアーティストの作品ではないかと思うのですが、これは1981年に原美術館で発表されたゼロの空間という作品です。白いタイルと黒い目地の組み合わせにより床・壁・天井すべてをグリッド化して空間を徹底的に抽象化し、幾何学性を浮き立たせることによって異空間のような様相を呈しています。
80年代にはこのような目地の扱いがよく見られました。

■現代建築とタイル
では現代のタイル・目地の扱いはどうかということを見てみましょう。青木淳さん設計の青森県立美術館は鉄骨造の外壁に煉瓦を積んでいます。煉瓦を積んだ後に目地をつぶすように、白で塗装がされています。これはどちらかというと目地を消す方法だと言えるのですが、煉瓦なので近くに行くと素材感・肌合いが見えるというような表現になっています。

青森県立美術館は確か目地巾が15mmだったと思いますが、誘発目地を煉瓦の目地に合わせているので、実際には誘発目地がわかりづらくなっています。最近ではこのような目地を消していくという表現が主流になっていると思います。

虎屋京都店に戻りますと、ここではごく普通のタイルを使っていますが、半割タイルを組み合わせることやランダムな配置にすることで独特の表情をつくっています。和菓子屋ということを意識した時、一つの塊でありながら、表面には柔らかさを出したい、でも目地で細かく分割されてしまってはそのような見え方にはならないかと思います。そのような葛藤の末、目地を消し去ることで建物本体のボリュームが持つ量感を保つことが出来る、という結論が虎屋京都店の目地の取り方です。

タイルの貼り方のバリエーションは結局、目地をどうデザインするかということなのだと思います。この京都虎屋店の例は特殊解ですが、建物全体のコンセプト、あるいは設計の哲学と一致することで、建物としての強さが生れるのではないかと思います。目地の選択にまで哲学を徹底すると、建築としてのクオリティを高めることが出来るのではないでしょうか。

建設という意味で考えるとこれはとても本質的なことです。設計は分割されたものを組み合わせる・積み上げるという行為です。RCだとそれがシームレスにできますので、抽象化にこだわった時代にはそれが主流でしたし、目地のない模型でつくったそのままが建ち上がるような仕上がりになります。
ただ建物は動くものだということを前提とすれば、目地をどう考えるかがとても重要です。誘発目地を嫌う建築家も多いのですが、これはどうしてもセットで考えなくてはならないと思います。

■今の技術と向き合い、建築をつくるということ
最近私はテクノリージョナリズムという造語を考えています。例えば21世紀になり、色々な技術が現在では世界標準になってきています。様々な材料、工業製品を生産するための技術に関する地域差がなくなってきているということを考えると、技術と地域をつなげるというつくり方があるのではないかと思うのです。

例えばタイルはどこの国でもつくっていて、その技術は基本的には同じです。ところが原料の土や釉薬等により同じ技術でつくっても仕上がりは違ってきます。タイルをつくる技術は広がるけれど、出来上がるモノの質としては地域性を持つ、ということの典型になるのではないかと思います。

そうした歴史の積み上げという視点で考えると、たとえば京都は伝統的なまちだと言われますが、実は何でも先進的にやってきたという歴史があります。小学校は京都が発祥ですし、煉瓦の洋館の誕生も東京とほとんど同時です。素材に対してもただ古いものをそのまま使うとか、地場産のものだけでつくるという過去に固執した考え方ではなく、今という時代をまちにどう植え付けて行くというか、今の技術や文化でまちをつくって行けば、それが本物でさえあれば、その地の歴史になっていく、と考えています。

今の技術がどこまで行っているのかを徹底的に見据えて、ものを積み上げるというのが建築家の仕事なのではないかと思うのです。


2013.05.31 
文責・加藤幸枝


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